データの見えざる手@単純作業にこそ価値が生まれる時代

データの見えざる手: ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則
株式会社日立製作所・中央研究所、主管研究長 矢野和夫


ビッグデータを活用できるだけの技術が発展したおかげで、
今まで定性的に言われてきたことが定量的に証明できる時代になりました。

また、従来の発想にはなかった発見も、
ビッグデータから導き出せるようになり、
機械が人間の発想力を超える?という
恐怖感すら覚えます。

矢野和夫さんのグロービス特別講演

経営学修士(MBA)が取れるグロービスに招かれて、
矢野和夫さんが特別講演している様子がyoutubeにアップされていました。

AIが盛り上がっているところなので、
矢野和夫さんの発言も注目されますね。

ウエアラブルセンサとは?

「データの見えざる手」では、
ウエアラブルセンサという装置を駆使して、
ビックデータを収集。

人間の様々な行動データ
収集・解析した結果
どんな事実が見えてきたのか?
というのがまとめられています。

ウエアラブルセンサとは文字通り、
身に着けられる(ウェアラブル)センサーで、
わかりやすく言えば多機能な万歩計

センサを装着した人の様々な行動情報を、
リアルタイムで集計できます。

歩数
心拍
体温
会話時間
歩いている時間

などなど。

著書の矢野和男さん本人を含め、
実験にはたくさんの人が参加しており、
のべ数千時間分ものデータを収集

こうして集まった「ビッグデータ」を
日立の中央研究所で開発した
人工知能「H」で、解析。

本書では、解析結果から見えて来た
人間の行動の法則性・規則性
が次々と紹介されています。

ビッグデータで明らかになった裏付けの数々

1.生産性の高い時に見られる特徴的な行動

アイデアがドンドン湧き出てくるとき、
意欲的に仕事に取り組んでいるとき、
そして、集中して業務に望んでいるとき。

そういった生産性の高い状態にいるとき、
僕らには一定の傾向が生まれます。

全身の活動量

が多くなれば多くなるほど、
生産性が高くなることが
ビッグデータから明らかになりました。

活動量というのは、
何も走ったり運動する以外にも、
誰かと話すために口を動かしてる場合
も当てはまります。

他にも、
身振り手振り、
指先を動かすなど、
そういった動作も含まれます。

つまり、体のどんな部分でも良いので、
ひっきりなしに動いているときほど、
生産性が高くなるということが明らか
になっています。

2.人間の活動内容はパターン化できる

僕たちは、誰もが違う行動をしているものですし、
自分の時間のほとんどは自分で決めています。

しかしビッグデータによって
明らかになってきたのは、
人間の活動には一定の傾向
が見られること。

具体的には、

活発に動ける時間ほど少なくなり、
ほとんど活動しない時間が長くなること。

グラフ上で縦軸に活動量、
横軸に時間を割り当てると、
きれいな右肩下がりの直線を描くようになります。

katudou

つまり活動量が多く「生産性の高い」時間は、
人類共通して短くなってしまうため、
そういう時間はぜひ有効活用すべき、
ということがわかります。

逆に言うと、僕ら人間は
この行動パターンから
逃れることができません。

つまり、体を十分に休ませる時間を持てなかったり、
生産性の高い時間を持てなかった場合には、
それがストレスにつながる可能性を意味します。

3.週に1回たった10分で幸福度を上げられる

自分が幸せかどうか?なんていうのは、
絶対的に判断できるものではないものの、
ビッグデータを活用することで、
自分自身の「幸福度」を上げる方法が判明。

その方法というのが、
週に1回10分で良いので、
その週に起きた「良かった」ことを
紙に書いていくだけ。

たったこれだけの作業をすることで、
その人が感じる「幸福度」があがる、
ということが明らかになりました。

ちなみに、僕はネットビジネスに関して
アドバイスをするときに、

「寝る前にその日に起きたことを振り返って、
ありがとう!って言えることを10個出そう!」

って言うことも、
合わせて伝えていました。

目的はいくつかあるのですが、
「幸福度」を高めるのも目的の一つでした。

実際にやってみると、
続ければ続けるほど、
不思議と「幸福度」というか
「恵まれている」感覚が強くなります。

独立して一人でビジネスするようになると、
不安や孤独感を強く感じてしまうことがあります。

こんなとき「幸福度」を上げられれば、
ネガティブな方向へ
引っ張られることがなくなります。

ということで、
ビッグデータの裏付け
もありますから、
今日からでもすぐに、

ありがとうを10個見つける

って言うのをぜひやってみてください☆

4.1/Tの法則

1/Tの法則とは、
人間の接触頻度に関する規則性。

最後に会ってからの日数
あまり経過していなければいないほど、
次も会う確率が高くなります。

逆に疎遠になればなるほど、
会う確率がぐんぐん減っていきます

メールや手紙の返信に関しても、
相手から連絡が来てすぐだと、
返信する確率が高くなります。

逆に連絡が来てからズルズルと、
返信を後回しにしてしまうと、
返信せずに放置してしまう確率が
高くなってしまうわけです。

僕らは1/Tの法則に縛られることが、
ビックデータから明らかになっていますから、

・やれることは今すぐやる
・多くの人と積極的に会いに行く

というのが重要だということがわかりますね。

ちなみに「データの見えざる手」では、
運を高める方法として

人とのつながりを増やす(強める)

というのが示唆されています。

個人的に、この章に関しては
ちょっと疑問は感じます。

ただ、人とのつながりを増やすことで、
仕事がよりスムーズに進むことが
ビッグデータから判明しています。

サラリーマンだろうが社長だろうが、
フリーランスだろうが関係なく、

人とのつながりを増やす(強める)

って言うのがビジネスでは非常に重要になる、
というわけですね。

これからの時代 演繹法から帰納法へ

ビッグデータによって様々な事実に関して、
裏付けがなされて来ました。

ビッグデータは活用次第で、
高いパフォーマンスを発揮してくれる
ことがわかるわけです。

ビッグデータ解析とはつまり
帰納法的アプローチ
です。

帰納法とは、
たくさんの事象(データ)を拾い集め、
そこからどんな法則や規則性が導き出されるか?
というのを見つけていくアプローチ。

それに対して演繹法というのは、あらかじめ、
こんな規則性・法則性があるんじゃないか?と仮説し、
仮定を裏付けるデータを集めていくアプローチです。

従来というか近年はどちらかというと、
演繹的アプローチが重視されてきた
ように感じます。

あのドラッガーですら
「PDCA」サイクルを提唱し、
最初に仮説(P、Plan)
持ってきているほどです。

しかし演繹的アプローチが万能ではなく、
どちらかというと、
仮説を生み出す人間の能力
大きく左右されがちです。

その人がどれだけ
広い視野・柔軟な発想ができるか?によって
仮説が生み出される限界領域の広さが決まる
わけです。

ただ、一人の人間の視野・発想なんて、
大したことありません。

世界全体から見れば、
砂場の砂粒1つにすぎません。

この点こそが、
演繹的アプローチが抱える
致命的欠陥です。

それに対して、ビッグデータを使った
帰納法的アプローチの場合。

発想力とか視野の広さとか、
そういったスキルはほぼ無関係
になってきます。

コンピューターにビッグデータを投入し、
ビッグデータを解析するプログラムを発動させれば、
「その発想はなかった」という事実を、
これからいくらでも発掘できるでしょう。

データの見えざる手でも実際に、

とある店舗の売り上げを上げるためには?

という課題を
人間VSコンピューター
で競争させています。

その結果、人間が思いついた施策は
ことごとく失敗したのに対し、
コンピューターの施策は、
売上15%アップを実現。

人間は

「売れ筋商品の売り場を増やす」
「目玉商品を入り口近くに置く」

といった施策をしたのに対し、
コンピューターの方は、

「指定された位置に店員を配置する」

というものでした。

ビッグデータは、「店員の配置」という
売上とは一見、関係のなさそうな要因
導き出すことに成功。

人間の発想とはまるで近く角度
結論を導き出してしまうところが、
すごいところでもあり怖いところ
でもありますね^^;

もはや単純作業に価値はないのか?

ビッグデータを使うと、本当に、
魅力的な事実が浮かび上がってくることが、
「データの見えざる手」を読むとわかります。

この本では、人間の行動に対して、
ビッグデータ解析を施しているわけですが、
他にも酒造りにもすでに行かされており、
獺祭という有名な日本酒が生まれています。

ビッグデータ解析を済ませると、
今まで気づかなかった価値
浮き彫りになります。

コンピューターがいよいよ
人間の能力を超えるんじゃないか?

人間が単純作業するのはもはや
時代遅れじゃないのか?

といった不安が頭をよぎるものの、
単純作業にも実は価値があるということが、
ビッグデータからわかっています。

単純作業はいくら続けても結果は同じ。
作業を100回繰り返そうが1000回やろうが、
成果が100になるか1000になるかの違いだけ。

従来の認識だとそんな感じだったものの、
ビッグデータによると実際には、

繰り返せば繰り返すほど偏りが生まれる

ということが判明しています。

スポーツを例に挙げると、

柔道の受け身
テニスや野球の素振り
ボクシングのサンドバッグ打ち

などなど、
ひたすら単純作業の繰り返し
になります。

ただ100回やっても1000回やっても
結果は同じなのか?
というと、最初と最後でちょっとずつ
違いが生まれるわけです。

繰り返せば繰り返すほど、
最初はわからなかった違い・違和感
みたいなものが感じられる
ようになるわけです。

「データの見えざる手」も実は、

単純作業を繰り返せば繰り返す程、
データに偏りが出てきた

という事実から出発しています。

コンピューターは本当に
「単純」な作業しかできませんが、
僕らというのは、コンピューターにとっては
複雑な動作も単純作業として繰り返す能力があります。

この「単純作業を繰り返せる」能力こそ、
次の時代に生き残るために、
僕らがぜひ高めていくべき能力じゃないか?と、
そんな風に思います。

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