華麗なるギャツビー感想ネタバレとあらすじ|華麗なるギャツビーは実話?

華麗なるギャッツビー

一昔前の
成金セレブの醜悪さ
を愉しむ映画だと思ったらその通り!

ギトギトしいまでの派手なパーティーあり、
ドロっとした人間関係あり。

ただそんな中で、
ジェイの純粋さが、
ひときわ輝いて見えます。

華麗なるギャツビーあらすじ

アメリカの禁酒時代、
新卒でニューヨークにやってきたニックは、
隣家がたまたま、大富豪。

隣家と言っても距離はかなり離れ気味。

ただ、ニューヨーク中心地までは少し距離がある水辺で、
たまたま住んでいる人が他にほとんどいなかっただけ、
といった環境に近いでしょう。

ニックの隣家というのが超がつくほどの大金持ちで
家は豪邸というか

大量の使用人を雇っています。

毎週末になると派手なパーティーが開催され、
ニューヨーク中のセレブが集います。

このパーティーを主催している
城の主がギャッツビー

ギャッツビーがパーティーを開くのは、
ある目的があったため。

とある人物をおびき寄せるために、
参加費無料でパーティーをやり続けた結果、
ニックなどの協力もあり目的達成

ギャッツビーはその人物と対面したことで、
運命の歯車が一気に回りだします。

「過去は変えられる」

というギャッツビー。

しかし
「過去は変えられない」
という周囲の人物たち。

果たしてギャッツビーには、
どんな過去があり、どんな結末を迎えるのか?

華麗なるギャツビーはこんな人におすすめ!

昼ドラをこよなく愛する人は、
こんな映画が大好物じゃないかと思います。

昼ドラってどことなく、
現実離れしたセレブ感があります。

その割には、扱っているテーマが、
不倫とか復讐とか、
人間関係のドロドロした部分。

ドロドロした雰囲気が、最後にはどうなるのか?
サラサラになるのか?

ぜひご堪能あれ!

ちなみに、華麗なるギャツビーはアメリカの作家、
F・スコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」が原作です。

1974年にロバートレッドフォード主演で、
2000年にトビー・スティーヴンス主演で映画化されているので、
レオナルド・ディカプリオ主演の華麗なるギャツビーは映画化3回目となっています。

華麗なるギャツビーのネタバレ

この映画のもう一人の主人公がニック。

ジェフとニックの二人が初めて出会うシーン
非常に象徴的だったりします。

実際には会ったというか、
ニックがジェフを最初に目撃したシーン
という感じですが。

他にも「真実を見る目」みたいな感じで、
店を畳んだメガネ屋の看板が作品中に何度も登場します。

この看板も象徴的といえば象徴的

なんですが、、、

個人的には
ちょっと中途半端?
な感じがしました。

ギャッツビーにまつわる
さまざまな伝説的な逸話には、
確かに尾ひれがついていました。

けれども、間違っているわけじゃない。

ギャッツビーは決して、
嘘をついていたわけじゃないし、
周囲の人たちだってそう。

しいて言えば、最後に
事故を起こしてしまった時の、
ちょっとした行き違いが、
「真実を見る目」に象徴されるかも?

実際、作品中でも、事故を起こしたときに、
真実を見る目の看板がわざとらしく画面に現れました。

事故を起こしたのは本当は
ギャッツビーではない。

って言うことを暗示していたような、
そんなシーンでした。

いやーしかし、レオナルドディカプリオって、
なんだか影のある主人公を演じるのが上手い気がするんですよね。

ロミオとジュリエットなんかでも
すごく心を揺さぶられる哀愁差を感じましたし、
インセプションという映画でもそうでした。

関連ページ:インセプションのネタバレ|ラスト(結末)解説【インセプション考察】

キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャンみたいな、
ほぼコメディタッチの映画もありましたが、
華麗なるギャツビーやギャング・オブ・ニューヨークみたいな系統が、
レオナルドディカプリオらしい映画な気がします。

華麗なるギャツビーネタバレ2 ファッション

華麗なるギャッツビーでは、
たくさんのセレブが
様々なファッション
身を包んでいます。

女性陣のドレスも、おそらく
当時の流行に基づいているんでしょうが、
なんとなく古さを感じないのは、
現代風にアレンジているから?

それにギャッツビー自身のファッションも、
ぜひ注目してみてくださいね。

シーンごとに違うスーツ
を身にまとっています。

でギャッツビーの方も、
古さを全く感じない。

それどころか現代でも
洗練されたスーツのように感じます。

ネタバレ感想 幸せな結末なのか?

ここからは思い切りネタバレしていくので、
本編を楽しみたい人はぜひ後で見てみてください☆

ギャッツビーを取り巻く人間は、
トムをはじめデイジーもニックも、
クソみたいなやつらです。

ニックはどちらかというと、まともな人間のように見えるけれど、
見方を変えるとこいつも相当、イカれてます。

ギャッツビーは最後の最後で、デイジーからの電話を待っていたのに、
そこへノコノコ電話を掛けたのは、おそらくこいつ、ニックです

デイジーも電話の受話器を上げ、
ギャッツビーへ連絡をしたと思わせるシーンがあったものの、
ただ上げただけでしょう。

ニックは、たぶん電話で、

「ギャッツビーを主人公に小説を書きたい」

そんな話をしようとしたんでしょうが、
それって今する話?

というかニックは途中から、
ギャッツビーをいつか小説にしようと、
彼の一挙手一投足をつぶさに観察
していたんじゃないでしょうか??

ギャッツビーとデイジーの仲が深まる様子や、
トムとギャッツビーが言い争う場面も、

「良いネタになるぜ。。。!」

みたいな目で見ていたんじゃないでしょうか?

華麗なるギャッツビーの登場人物の中で、
ギャッツビーはどちらかというと、まともな方。

振る舞いとかは確かに、現実離れしているけれど、
思いを貫いていただけ。

その思いの表現方法が、
現実離れしすぎた豪華さだっただけ。

ギャッツビー以外にまともだったのは、
僕はトムだったんじゃないか?そんな気がします。

最後はたしかに
ギャッツビーをはめるような形
になりました。

けど普通、奥さんを寝取られたら、
逆上するのが当たり前だよね?

トムの反応はいたって正常。

デイジーだって

「トムを愛していた時期もあった」

って、カミングアウトしてますから。

ギャッツビーにとって
悲劇だったのは間違いなく、
好きになる相手を間違えたこと。

デイジーみたいな低能に振り回されたことが、
彼の歯車を大きく狂わせたわけです。

ギャッツビーは赤貧の家に生まれ、
そこから這い上がってきたわけですが、
ピュアな気持ちだけは忘れなかった人物。

華麗なるギャッツビーという映画の中で、

最もケガレのない人物

だったように感じます。

ニックがギャッツビーのことを

「希望を見出す能力に長けていた」

というのも、非常にうなづけます。

そしてギャッツビーが、
マートルの事故の冤罪を被らされ
夫のジョージに撃たれてしまったラスト。

この終わり方について、
ギャッツビーがかわいそう。。。

という気持ちになるものの、
その反面、
ここで死んだ方が良かったんじゃないか?
という気もします。

だって、生きていたって
デイジーはトムのもとに去ってしまった
わけです

彼が頑張って手に入れようとした人が、
結局、手に入れられずに終わってしまうわけです。

ギャッツビーがもし生きていれば
「過去は変えられない」
という意見が正しいと言わざるを得なくなります。

死んだからこそ胸を張って、
「過去は変えられる」
と言えるんじゃないでしょうか?

ギャッツビーにとっては、
ニックからの電話をまず間違いなく、
デイジーからの電話だと思ったはずなので、

デイジーが戻ってくる!過去は変えられる!

そんな思いでこの世を去ったんじゃないでしょうか?

ただまぁ、ギャッツビーはまるで、
亡霊のように過去にしがみついていたわけで、
もし過去への執着という点をもっと、おどろおどろしく演出していたら、
ギャッツビーもある意味、ストーカーのような異常者なのかもしれません。

華麗なるギャツビーの隠された続編

華麗なるギャツビーにはどうやら、続編があるようですね。

詳しくは参照先のサイトを見てもらいたいんですが、
映画では完結した回想録の続きにあたるシーンの
未公開映像が数々あるそう。

ラーマン監督が苦渋の決断でカットした部分が
特典映像として収められているのは、
華麗なるギャツビーのDVD&ブルーレイセット版らしいです。

参考サイト:『華麗なるギャツビー』には続きがあった!バズ・ラーマン監督が苦渋の選択でカットしたシーンとは?

華麗なるギャツビーは実話なのか?

なんだか、現実にありそうな話だったりするわけですが、
華麗なるギャツビーは実話なのかというと、こちらに回答がありました。

華麗なるギャッツビーは実話ですか?|Yahoo知恵袋

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